大和村の歴史

大和村の歴史

恐竜が繁栄していた時代、奄美は海の底だったといわれています。およそ1500万年前に大陸の一部として初めて陸地になり、その後は氷河期と間氷期により、陸になったり海になったりを繰り返したようです。この時、渡ってきた動物が島に取り残されたことで、他の地域では絶滅してしまったアマミノクロウサギなどの古い形質を残した種が今に伝わっています。

奄美群島では旧石器時代、縄文時代と遺跡が残っています。しかし、稲作農耕文化も古墳築造文化も受容されていないことから「弥生時代」も「古墳時代」もなかったといわれています。

15世紀中頃、琉球国が奄美群島を統治したといわれています。女性司祭のノロもこの頃に伝わりました。その後、江戸時代に入ると、島津軍が奄美群島を制圧し、薩摩藩の統治となりました。こうして奄美は、琉球と薩摩(日本)の両方の影響を受けた独特の文化を築いてきました。

第二次世界大戦の後、奄美群島は沖縄と同じく米軍の統治下になりました。当時の人々の熱い日本復帰運動の末、1953年12月日本復帰を果たしたという歴史もあります。

大和村は1572年の琉球王からの辞令書に「屋まとはま」という地名が現れます。薩摩藩統治下にも「大和浜方」が置かれていました。名前の由来は不明ですが、大和時代に大和人が住んでいたと伝えられています。

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